円相に向き合う日々

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

円相とは

 

円相(えんそう)は、禅における書画のひとつで、図形の丸(円型)を一筆で描いたもの。

 

 

「一円相(いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」などとも呼ばれる。

 

 

悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で象徴的に表現したものとされるが、その解釈は見る人に任される。

 

 

また始まりも終わりもなく角に引っ掛かる事もない円の流れ続ける動きは、仏教が教える捕らわれのない心、執着から解放された心を表わしている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

一円相という言葉がある

 

 

一筆で描いた円

 


一筆だからこそ、難しい

 


難しいというよりかは、不可に近い

 


たかだか、33年生きたぐらいで
これが僕の一円相です。なんておこがましい

 


円相に対する作品が創れない

 


生意気過ぎる

 

 

本当に自分の心の底から解っているのか?


丸を描けばそれなりにはなる
後付けでストーリーや文章を付け加える事だって誰でも無限にできる

 


でも、そうじゃない。

 


円相につ
いて考え、向き合う日々が続く

 


毎朝、瞑想を始める事にした

 


無になる事の難しさや、無意識の中にも意識があり

 


大量の情報や映像が脳内に流れる

 


円相を描くにはほど遠い

 


今回の個展のテーマ
だけでは終われないテーマになっている

 


ひとつのカタチの円

 


でも、ひとつのカタチの円なんて存在するのか?

 


全員がまったく同じ円を描く事なんてありえないし

 


自分が同じカタチの円を描く事もありえない

 


気分が良い時に描ける円もあれば、
そうじゃないときに描く円もあり
同じカタチはそこには存在しない

 


今描ける円と死ぬ前に描ける円ではまったくの別物になる

 

 

一円相は描けない

 


そこにゴールはない

 

 

でも、それで良いのではないか。と思った

 


何億という微生物が体内に居て形成される自分という存在

 


僕の中に住む何億の微生物にも円を描けと言ったとしても、きっとみんな同じ円にはならない

 


そこから具現化する自身の円もひとつではない

 


それでいい。

 


全てが違うけど、全てがじぶん。

 


ひたすら円相について考え、向き合い円を描いていくようになった

 


一円相にとらわれなくてもいい

 


まだまだ辿り着けない

 


一円相に向かう為の総円相図

 

 

 

≪ BLOG一覧へ戻る

CONTACT

京藍染師 松﨑 陸へのコラボ商品のご依頼、その他のお問い合わせ等は、お電話、
またはお問い合わせフォームより承っております。お気軽にご連絡下さい。