先日投稿した1700年の俳句
島原の外も染るや藍畠
その12年後、1712年の百科事典
和漢三才図会の記述文です
(現物見たい方は工房で言ってください)
藍は京洛外の産が最も優れ
次に、兵庫(播磨)、阿波、淡路の順
と記されており
京都の藍、京藍は洛中では
栽培されていなかった事がわかります
かつ当時の島原に隣接していたのは、洛西です
そこまで京都の藍は優れていたのに
なぜ、都市化といえど
京都は自ら京藍を滅びさせたのか謎ですが
当時の産地であった洛外で
当時使われていた肥料、栽培方法で
【京藍】を復活させた意義があります。
僕の京藍復活に火を付けた人物
1712年から約85年後
一度衰退しかけた京藍を
命懸けで再興した人物がいました
その方の話はまた今度書きます