京都精華大学で講義をさせて頂きました
僕の活動や、京藍の歴史
なぜ、京藍を復活させたのかや、僕が京藍染という言葉を作った意味
藍の染まる仕組みなどを講義させて頂きました
一般的な藍染の認知は濃色とされていますが、本来の日本の藍染は淡色が評価されていました
当時その淡い色を作れるのは、京都の藍のみです
学生も、祖母が淡い藍の帯を持っていて、祖母も濃い藍は藍染めじゃないと言っていたらしく、その意味が今回の講義で腑に落ちましたとの事でした
江戸時代の文献も持参したので、学生たちにとって何か良い刺激になると嬉しいです